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最高裁判所第二小法廷 昭和63年(あ)239号 決定

本籍

京都市中京区猪熊通蛸薬師下る下瓦町五九一番地

住居

同 中京区柳馬場通竹屋町上る四丁目一九五番地

会社役員(元司法書士)

松本善雄

昭和八年一〇月二七日生

右の者に対する所得税法違反、相続税法違反被告事件について、昭和六三年一月二二日大阪高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立があつたので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件上告を棄却する。

理由

被告人本人の上告趣意は、違憲をいうかのような点を含め、その実質は事実誤認、単なる法令違反、量刑不当の主張であり、弁護人藤平芳雄の上告趣意は、憲法三六条違反をいう点を含め、その実質は量刑不当の主張であつて、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。

よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 牧圭次 裁判官 島谷六郎 裁判官 藤島昭 裁判官 香川保一 裁判官 奥野久之)

昭和六三年あ第二三九号

○上告趣意書

被告人 松本善雄

右の者に対する所得税法違反、相続税法違反被告事件について左記のとおり上告趣意書を提出する。

昭和六三年四月二〇日

被告人 松本善雄

最高裁判所 第二小法廷 御中

本書は、上告趣意書という様な様式での文書になっていない事をよく承知致しております。只、現在、私の心情をどうしても述べたく、敢て上告趣意書という名を借りて本書を記します。

まず最初に、我が国の上告審に於いては憲法違反、法令違反、先例違反の事案にのみその審議の道が開かれているという実態をよく理解した上での本書を記述する事に致しますが、何卒、最後まで目を通していただきたく懇願する次第です。

何故なら、弁護人の話によれば、上告審に於いては余程の上告理由がない限り、その殆どが上告理由なしとの事で棄却されるとか聞いておりますが、我が国の裁判法体制が三審制を取り入れ、絶対正義を建前としての法判断、法解決を計っているのにも拘らず、最高裁に於いては、一、二審で審議された事案で、憲法違反等の余程の事実が無い限り、その殆どが、二審の判決がこれを以て結審という結論に従わざるを得ない事になっている様です。成程、上告事件の総てを最高裁が取り上げ、充分に審議をするという事は不可能であろうと理解しています。

只、今回、私の様に被告になった身の者でなければ、ああ成程、という事で納得できるかもしれません。しかし私の様に、一、二審に於いて不満の判決を言い渡される身であれば、これが最後の砦と、藁をもつかむ思いで上告申立を為したのです。しかし、針の穴を通す程の確率でのみ審議の対象になるのかと思うと、やり場のない忿懣、やる瀬なしの感を強く抱くものであります。

不謹慎の様ですが、当時犯罪を犯しているという自意識なしに行った行為(現在は結果的に私の関与した事案が犯罪であった事は充分理解、納得し本当に反省もしております。)に対して弁護人を介し、又、その釈明をもすれば当然に悪くとも刑執行猶予の判決は得られるものとばかり思い信じておりました。

それなのに、裁判の手続上、一審での証拠はこれを事実誤認としてひっくり返す事は、余程の証拠がない限りこれが認められないという事で、これを争わなかったが為、一審での間違った事実をそのまま二審でも採用されて判決された様に思われてなりません。成程、私の言わんとする事は控訴審での被告人尋問の時に事実として充分に公判で述べましたが、判決に於いてはこの事に積極的に触れずに判決されております。何故、真実は真実としてその主張が通らないものかと、今も尚、この事に不満を持っているものであります。

私の言いたい事は、一、二審で判決された本件脱税事件に関与する当初より、同和会の主導者がその架空債務を作出する方法で脱税している事を何もかも知りながら、その彼等と共謀し、只、自分の利益を計る目的でもってのみ、この事を何も知らない今般の納税者に対して、司法書士の肩書、信用を利用して指導的にこの者達を勧誘し、脱税せしめたと判決されました。これは全く真実でなく、その事実を控訴審で争いたかったのですが、前述した通り一審で真実でない証拠調書を取られ、又、援用され罪状悪質と決めつけられました。これに関してはあくまでも反論致します。

今までにも何回も調書にして貰っていると思いますが、私が当初友人達の依頼者を同和会に紹介したのは、税金が少しでも安くなれば皆が本当に喜んでくれる、只、それだけの親切心でもって為したる行為であり、決して最初からその様な礼金が利得できるからとの欲得ずくで紹介したのではない事を、検察側はこれ等の関係者を参考人調べで検察庁に呼び出して私がその彼等からは礼金を全く受け取っていない事実を知り、(別添の証言書を是非御一見下さい。)これを分っていながらこれを採用してくれず、敢て前述の如く何もかも知った上での勧誘という様に結論されてしまいました。この様に一審に於いては上記の重大なる事実を不採用、なおざりにして判決されたと言わざるを得ないと思います。

尚、同時に別添の長谷部氏の証言書も添付致しますが、彼の公判での証言が事実と相違している事を自発的に証明してくれたものです。これも、御一見下さい。何卒、御願い致します。

私本人、現在の偽らざる気持ちを訴えます。

今も尚、私はプライドを持っております。当時は絶対に犯罪を犯す様な事に進んで加担したものでないと自分に言い聞かせております。なのに、何故、実刑という重い刑を科せられる様な事になったのかと残念でなりません。私の軽薄型の性格等、短所は多々ございますが、強く反省は致しております。

成程、控訴審で判示されているその関与の程度、逋脱額、逋脱率、利得額の多かった事等、その結果から結論付ければその様な事になるかも知れませんが、それも、これを犯罪と知った上での行為であれば当然納得もできますし、理の当然です。

何度も申し上げます。私自身、当時絶対にこの申告は税務署が関与した上での納税申告という事を百パーセント信じておりまして、毛頭、犯罪を犯していると言った疑念は一切持っていなかったのです。付け加えて申し述べます。私自身、同和会を紹介された時、脱税でないかと心配を致しまして、これを問い詰めました処、私の検事調書にもある如く、税務署と話し会いの上で、それも税務署の指示でやっているとの話、又保守的政党の同和グループの全日本同和会だとの話等、これを信じてしまい関係依頼者を紹介する結果になってしまったのが真実です。

敢て、苦言を申し述べさせて下さい。詭弁の様ですが、今般の事は国(税務署)が同和関係者の申告に対して当初より毅然な態度でこれを臨んでいて貰っていたならば、私を初め、今般の被告となられた皆様方も、この件に深く関与する事なしに罪も重ねる事にはなっていなかったであろう!。然るに、税務当局は、敢て数年来に亘りこれを野放しにしておいて、その申告に対して何の警告も事前にする事なしに、ある日突然に一網打尽に有無を言わせず関係者を犯罪者として摘発した。これが、事実です。これは、刑法上禁止されている囮捜査による犯罪者摘発となる事案でなかろうかとその様に思えてなりません。又、例をみるならば、スピード交通違反者等に対する場合に於いてさえ、まず警告を明示し、尚、それにも拘らず違反した者にはそれなりの罰が科せられる。これがノーマルな対策ではないでしょうか。これが私の素朴な気持ちです。私の事案の場合、何故、何故という感ばかり頭を持ち上げてくるのです。税務当局が同和対策に苦慮する余り、百罰一戒の犠牲者にしたのかと下司の勘繰りをする次第です。

以上の通り長々と怨みつらみを文に致しましたが、これは私自身犯罪認識のない行為に対して犯罪者という汚名を着せられ、私個人のみならず家族全員それに親戚の皆にこの汚名を背負わす事になるであろう、収監をされる生の人間の言葉です。若し、この私の切実なる願いが通らなく収監される事態になった場合、憲法で保証されている基本的人権に訴えてでも後日に於いても自分が当初より犯罪という事を知りつつやったものでない事の釈明をする覚悟でおります。

そこで、今迄述べた事を要約致します。

今般の事案は、税務当局が全日本同和会初めその他の同和グループの税務対策に腐心していた処、私の様な司法書士が本件脱税事件に関与した事を機会とし、同和会に対し税務行政的対応の権威をしめす好機として、私を同和会関係者と同列に併考し、私の犯行関与の態様、情状等について詳細に検討する事なく懲役刑を以て処断されてしまいましたが、控訴審に於いては私が利得金を全額返済し、職業資格である司法書士も廃業する等をして充分反省を強めている事を認めていながらも、懲役刑について刑の執行猶予は認められないとして敢て実刑を宣告されました。これは、近代刑事政策の目的である刑の執行猶予制度の意義を全く考慮していない不当な判断であり、刑の量定が甚しく正義に反する処断であると考えますので、刑事訴訟法第四一一条により控訴判決を破棄し、懲役刑に付き、何卒、刑の執行猶予を賜わります様上告に及びます。

以上

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